私達はいつも地面と友達でした。
夜、暗くなって地面やボールが見えなくなるまで遊びました。
地面に棒きれで輪を描いたり、四角を描いたりして、そこで遊び場を作りました。
平べったい石はけんぱの石、小石は地面の陣取りの石、そして棒きれがあれば、たくさんの仲間といつまでも楽しく遊べました。
それが本当に楽しくて楽しくて仕方がなかったのです。
そんな遊びは全部、ちょっと年上の兄や、近所のお姉さんから習ったり、見て覚えたり、その遊びを知ってる友達と遊びながら覚えたりしたものばかりで、教則本などもパンフレットもありません。
口伝えに伝わるので、ちょっと場所が変わると細かいルールなどは変化しました。
小さい子は「ゴマメ」と呼ばれて、そんな子のためのルールもきちんと別にありました。
いろんな意味で甘くしてあるルールです。
私は長い間「ゴマメ」として参加していました。
だいたい小学6年生がリーダーになり、5才の私も「ごまめ」参加です。
今思ってもあのころのリーダー「松坊ちゃん」は立派なリーダーでした。
小さい子には優しく、中堅の4,5年生には厳しく、低学年には細かく指導していました。
その勢いある遊び方に、ゴマメの私ははやく正会員(?)になりたいと思ったものでした。
その松坊ちゃんは4人兄弟の末っ子でお母さんにはよく叱られていました。
私達に見せるりりしいリーダーの松坊ちゃんも年輩のお母さんにかかっては鼻ったれ扱いでした。
「松男(まつお)、松男」といつも呼ばれて叱られていました。
そのときの松坊ちゃんの顔は末っ子のいたずらっ子の顔でした。
思い切りがよく、ちょっと怖いこともどんどんやっていく指導者の松坊ちゃん。まぶしい存在でした。
夏の夕方には、コウモリが空き地周囲の空を低空飛行で飛び回っていました。
そのコウモリに石を投げて落としたりしていました。
誰がやっても投げるだけなのに、彼が投げるとドサッと音を立てて落ちて羽が閉じると意外に小さいネズミのようなコウモリが落ちてきました。
ルールを守る、決めごとを守る、それは地面に棒きれで描いたような遊びのなかでも大切なことで、守れない人は容赦なくはずされます。
きちんと守れるようになって、また一緒に仲間に入れてもらえました。
人望のあるリーダーが、きちんとそれは棒引きをしていました。
そんな仲間のなかでたくさんのことを子供達は学びました。
親同士もみんな近所で付き合いもあり、お父さんのいない一人っ子の甘やかされていたたかちゃん、いつも少しのことで泣くのでみんな困っていました。
でも、「こうしたほうがたかにはいい」と彼が決めて、よく鍛えていました。
泣き虫の彼が、ゴマメの私にはとっても優しいこと、いつも何かと気を配ってくれること、それがうれしく、今もたかちゃんを思うと胸が暖かくなるのです。
彼はきっと50才をとうに越して、いい中年になっていることでしょう。
松坊ちゃんは私より7才ほど上だったのでそろそろ60代になっているかも知れません。
引っ越していって、今はもうどこにいるのか分かりません。
うちの両親が離婚したと風の噂に聞いて、私が中学生か高校生だった時、一度心配して訪ねてきてくれたことがありました。
兄に何かを言いに来ました。
「ひろちゃんに伝えといて。おっちゃんとおばちゃんが離婚したって聞いたけど、絶対に大学にだけは行かせてもらっておきや。
俺は高卒で好きな機械関係のエレベータの会社に入ったけどな、大卒が入社したら、どんどん上に行ってしまうねん。
なんぼ先に入社しててもアカンねん。だから、何かあっても大学だけは進学しておけって言いに来たんや」
そう言っていました。
誰も家にいないときで、私が二階から顔を出すと、「俺や」と言って大きな声で二階の私に叫んでくれました。
それだけを言うために、兵庫県から車で飛ばしてきたのでした。
そのことは、ずっと忘れていましたが、今思っても彼はやっぱり力強いリーダーでした。
兄は少し迷っていましたが、彼の伝言を聞いたこともあって、大学に進学しました。
こんな楽しい遊びからも、中学生になると自然と遠ざかり、私も塾に通ったりし始めました。
でも、いつも思っていました。また、あの遊びがしたいな……。
結婚して、千里ニュータウンに住みました。周りには小学生がいっぱい。
私は赤ん坊だった長女を抱いて、うちに
「おーばーちゃん、遊ぼー」
と来てくれる小学生と一緒に、ゴム跳びや初めの第一歩、うずまきを教えてみんなで遊びました。
やっぱり楽しかったです。
大人になったら、こんな遊びはつまらなくなるのかと思っていましたが、やっぱり楽しいのです。
みんな喜んで一緒にやりました。 20代の初めのころでした。
そんな私も、もう50代前半です。私と同じような気持の人がいっぱいいるような気がします。
地域差があって、それぞれの育った場所によって、数え歌の歌詞が変わるように、けんぱの呼び名やルールは微妙に変わっていると思います。
でも、その時の目の輝きや、ワクワクするような楽しい気持は、みんな同じではないでしょうか。
思い出すと、当時の自分を含めた仲間達の生き生きした表情が目に浮かびます。
何のとらわれも心配もなく「ごはんやで〜」という妹や親の呼び声が聞こえるまで、地面と戯れていた自分が今も生きています。
路地裏や、空き地も、たまにしか車が通らない道路もみんな、かけがえのない遊び場でした。
時に、道に面した家のガラス戸をドッチボールがガッシャーンと音を立てました。
太ったおばさんが勢いよく出てきて、「あんたら。あっちへ行き」と叱られました。
昨日のことみたいに覚えていますが、40年以上前のことなんです。